ブログ

世界の~主義を理解する③今こそ答えよう!どうして人を殺しちゃいけないの?

1相対主義 「みんな違って、みんな良い」

こんな標語が、昔有ったような。これは相対主義を見事に一言で表しています。何か明確に「善い」とされる基準が有るのではなく、価値の上下は無く、どんな主義主張も同じ価値を持つ、よって誰にも批判されないし、或る考えを強制もされないという考えです。SMAPの「世界に一つだけの花」の世界観も、近いものが有りますね。

価値判断は理性的で無くても良いので、自分の感性や個性を発揮しやすい社会を実現させるには良い思想でしょう。しかし、最低限のルールは有ります。それが「他人に迷惑を掛けない」。それさえ守っていれば、援助交際をしようがタバコを吸おうが自殺しようが良いことになります。

問題は、「何を迷惑と感じるかも人それぞれ」だということです。タバコの煙を気にしない人も居れば、本気で嫌がる人も居ます。援助交際も、実際に自分が被害を受けたわけでは無くても、「社会風紀に悪影響」と言われれば迷惑行為とも受け取れる。

こんなこと言っていると、その行為が迷惑か迷惑でないか、結局は他人の顔色で決まる事になるし、何にも出来なくなってしまいますよ。生きづらい世の中です。「みんな違ってみんな良い」と言いつつ、結局は自分の価値観以外は認めたくないのが人間なんですよね。実際、多くの人が「一般人」の枠に自分は含めていないようです(代表調べ( ̄ー ̄)笑)。

2功利主義:

 功利主義は、相対主義の一部です。ただ、「何が迷惑か」と言う点について、明確に基準を置いています。それは「行為の結果、不快に思った人より心地よく思った人の方が多ければ、それは迷惑行為では無い」という基準です。悪く言えば、手段がクソでも、結果がハッピーならそれでよしってことです。最大多数の最大幸福ですね。

この基準の優れている点は、予め価値判断をしなくていいことです。価値観は時代や場所、所属する集団によっても変わるので、がんじがらめに決まってない方がよいのです。

逆に、欠点は少数派が抹殺されることです。例えばよく言われる例が「臓器くじ」ですね。一人の健康な人間を殺してその臓器を、病気で必要とする人に分ける。その一人はくじで公平に決める。結果、誰か一人の命と引き換えに数人の命が助かる。最大多数の最大幸福の原理を適用すれば、これは「迷惑行為では無い」ことになります。よって、臓器くじはOKです。

しかし、自分やその家族がくじに当たってしまった場合、受け入れられるでしょうか?映画にもなった「イキガミ」は、この問題を取り上げた作品です。

3人格主義

今度は「善い・悪い」が、より倫理的な価値観で語られます。誰かの人格・人権を踏みにじったらそれは悪い行為で、そうでない行為は認めようというものです。

ここで言う人格は、カントの「自分のなす格率(行動の原則)が常に普遍的法則(誰にでも当てはまるように)となるように行動せよ」が前提になっています。状況や相手によって態度や行動を変えるな。誰が誰にやっても「人格・人権を踏みにじる」行為とは言われないような行動を常にしろってことです。はい、確かにこれを皆が実践すれば、イジメや差別など絶対に起こらない社会になるでしょう。

しかし・・この主義の欠点は子供でも分かりますよね。そうです、実現可能性が低すぎます。人間は誰にでも、他人に対して優位に立ちたいという本能的欲求が有ります。それを完全に抑え込まなければなりません。更に、社会の善しとするものに自分を合わせなければなりません。没個性です。中には、実践できる人も居るでしょうが、多くはそんな暮らしを望まないでしょう。

それなら、多少迷惑掛けられても、自分も多少の迷惑を掛けて好きなことが出来るゆる~い社会を望むのではないでしょうか。

4保守主義(伝統主義としての保守主義)

子育てをすると、子供の質問攻めにも苦しむそうです。叱っても「なんでダメなの?」勉強しろと言っても「なんで?」。やっと答えても、それに対して、また「なんで?」が始まる。そんな時に「私も、おばあちゃんも、そのまたおばあちゃんもそうしてきたからよ!」と答えるのが保守主義です。

理屈がどうであろうと、今までそうして来て、それで上手く行ってきたという結果、そしてそれが単に一例では無く何十年何百年に渡ってずっと上手く行ってきたという積み重ねを大事にして、「だから善い」と言うのです。

確かに、おばあちゃんの知恵袋のように、科学的理論的な根拠が無くても何故か効くという事は有ります。東洋医学も、経験を重視したもので、科学的には証明できない事の方が多いようです。

しかし、今の西洋医学で治せない病気を東洋医学で治してきた例がどんどん見つかってきて、その経験知が再評価されています。

長い時間を掛け積み重ねてきたことにはそれなりの意味が有るのですね。それが根拠のない迷信に見えても、それを判断する人間の理性だって確実では無い。それなら、上手く行っている現実を勝手に変えない方が良い。それが保守主義です。

5原理主義

宗教の聖典に書いてあることを何から何まで全て信じ、聖典に書かれていることこそが「真理」で有り、「善」だと考える立場です。

彼らにとって、現実が聖典通りの世界を実現していないなら、それは現実がおかしいのです。だから、そんな現実はぶっ壊すべきだと考えます。原理主義者が自爆テロのような過激な行動に出ることが多いのはそんな要素も一因になっています。

また、彼らは聖書が全てなので、他のことを勉強する必要は一切ありません。結果、学が無く職に就けず良い暮らしが出来ず、そんな現実を憎み、聖書世界の実現を図る。悪循環ですね。

中世のカトリック教会が聖書の現地語への翻訳を許さず独占することで庶民を精神的に支配したのと同様、情報や教養という文化資本を持たない人々の浮上を妨げ、善悪の基準を押し付けようとする思想でも有ると言えます。

6まとめ

善悪の判断方法は、大きく分けて自律型(3)と他律型(12)、真理型(45)に分かれます。自分で決めるのも面倒くさいし、他人の顔色を伺いながら生きるのも窮屈だ。かといって、既にある真理に従うだけなんて、人間であることの否定に等しい・・。うーん。悩ましい。

善悪の判断は、自分がどんな生き方を望むのかにも関ってくる、重大なテーマなのですね。

 

関連記事

  1. 何故暗記科目「こそ」家庭教師が必要なのか
  2. 柿森拓朗(代表) 代表柿森の短期集中講座開講決定!
  3. 情報化社会の権力関係
  4. 日本語との対応で覚えられるお得な前置詞たち
  5. 世界の~主義を理解する④
  6. 日本語の論理と察しとKY
  7. 冠詞で解く英語の長文問題
  8. 今後の社会で必要とされる人材
PAGE TOP