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日本語の論理と察しとKY

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 いきなり物故んで申し訳ないですが・・

 日本語の文章に、明確な論理構造は有りません!!

受験生にとって、論理と言えば現代文、現代文の為に論理を勉強するという人も多いと思いでしょう。しかし、論理を学んで現代文の得点はそれほど上がるでしょうか。私はそうは思いません。日本語の論理は、非常に不安定で、脆弱なものだからです。確かに、日本語の数少ない論理指標である接続詞や指示語を駆使し論理的に文章を読もうとする試みは無駄では有りませんが、絶対視できる程厳密なものではないのです。それは、日本人にとって、日本語にとって、論理が文化的に思考習慣的にあまりに馴染みないものだったからです。 

 この点についてまず、論理とは何かを定義しておきましょう。論理とは、AだからBBだからCと、前後関係が一本道に定まることを言います。そして論理という言葉は、明治期に和魂洋才のスローガンのもとlogicの訳語として半ば強引に取り入れられたものです。その方法は、欧米の抽象概念を「漢字による造語」と「カタカナによる表記」で新たな語彙を用意すること。そうして出来たのが現代文ですが、それはいわば、英語の翻訳として出来上がった新しい日本語です。現代文のおかげで、英語が読めない一般人でも翻訳によって西洋の学問に触れることが出来るようになり、世界に類を見ない速度で大衆レベルの高度な近代化に成功したのです。ちょっと長くなってしまいましたが要は日本で論理はまだ歴史が浅い概念なんだという事です。

 対して西欧では、古代ギリシャローマ時代から育まれ2000年の歴史があります。英語と日本語では論理の根付き方、その定着度がまるで別次元なのです。その証拠に、日本では堅苦しく重々しい感じを受ける「論文」も、英語では単にpaper、紙です()。彼らが紙に書く言葉は全て言わずもがな、論理的な文章だからです。

 

 さて、どんな言語にも二つのルールがあります。目に見えるルールと、目に見えないルールです。前者は文法=シンタックス(統語)であり、後者はその統語を支配する思考慣習です。思考慣習とは、無意識の思考様式であり、その言語文化が有するコミュニケーションの法則とも言えます。英語ではそれが論理なのです。

 

 では、日本語の思考慣習は何でしょうか?それは「ホンネとタテマエ」であり、「察し」です。KYKですね()。空気を読んで、相手の思考を察することが日本では文化的慣習として求められているのです。敢えて論理関係を曖昧にし、主張もその理由もみなまで言わない。それが日本人の思考慣習であり、美学なのです。ちなみに、この察しや空気読みは、英語に訳すと「テレパシー」になるそうです()

 

 なぜ日本ではこのように思考習慣が根付いてしまったのでしょうか?それは、日本が島国で、基本的には単民族国家だからです(アイヌなど少数民族も存在します)。皆根っこが同じなんで、みなまで言わなくても通じ合えるんですね。

 一方、アメリカやヨーロッパは多民族国家で、昔から現在まで民族間の交流が盛んな国です。文化的背景が全く異なる人たち同士が分かり合おうとするのには、せめて言葉だけはホンネである必要が有りますし、誰が聞いても同じ解釈をしてくれるように、ルールに則って話す必要が有るのです。そのルールが論理なのです。

 加えて、英語の論理性を語る上でもう一つ、理解しなければならないことが有ります。それが、キリスト教における人と神の関係です。

 

 日本人にとって神は、都合のいい時にいつでもすがれる気軽な存在で、八百万という様にどこにでもいる身近な存在です。しかし、キリスト教における唯一絶対神である「GOD」は、人間を超越した絶対他者です。遥か天界から人間を支配する存在です。これはイスラム教におけるアッラーも同様です。一神教(モノセイズム)とは、単に一神崇拝を意味するのではなく、人間と神(=絶対他者)とを完全に分ける、二元論なのです。IYOUの二元論です。

 モノセイズムに生きる一神教文化の人々は、二千年も前から絶対他者にとってのI、Iにとっての絶対他者の意味を問い続けています。そこから生まれたのが、「自我」や「主体」、「他者」や「対象」という概念です。

 絶対他者としての神を意識するからこそ、まず自己=Iと、絶対他者=YOUを区別する。英語は、全てそこから始まっているのです。IとYOUは絶対に交わることは無いし、分かり合えない。だからこそ、せめて言葉に嘘を認めず、言葉の信頼を高め、お互いがルールに則って話し合う事で、近づこうとしたのです。

 

 その意識の違いを表す例の一つに、主語の省略が有ります。日本語と違い、英語は主語を省略しません。「富士山が見える」は、「I see Mt.Fuji」です。後に述べる論理語(論証責任が生じるようなことば)が入る場合はなおさらです。例えば、「綺麗な(←論理語)絵ですね」は、「I notice you have a beatiful picture.」です。このように、英語は私の体験、意見であることを強調します。それは、I・you二元論の精神、つまり、自分の感覚が絶対では無く、他人が見れば受け取る印象は違うはずだという意識が根付いているからです。

 対して、主語を省略して「私」を交代させる日本人は、主客一体の思想です。「私にとって綺麗なものはきっとあなたもそう感じるはず、だからあなたも見てごらん」という呼びかけに近いのです。

 ここまで、日本語と英語の思考習慣の違いを見てきました。そして、日本人の心の習慣は論理とは正反対のものであることが分かったと思います。結果、logicを導入しても(論理的な表現に必須な)論理指標が数少なく、しかも明確なルールのもと客観的に定義づけられてもいないのです。この点についてはまた後日、実際の入試問題なども交えながら詳述いたします。

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