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権利は義務の対価なのか

「義務も果たさないで権利を主張するな」

そんな風潮が、日本では当然のように叫ばれています。義務を犯した犯罪者に権利が無いのは当然、納税や勤労の義務を果たさない生活保護受給者も非難の対象にされています。職場で労働環境の改善や有給の取得を主張しようとすると「君はそんなこと言えるほどの仕事をしているのか」などと一喝してくる上司もいるようです。

しかし、権利とは本当に義務の対価として与えられるものなのでしょうか? 義務を果たさない者が権利を主張することは、非難されて当然なのでしょうか?

日本国憲法(第11条)には明確にこう記されています。

「国民は、全ての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことの出来ない永久の権利として、現在および将来の国民に与へられる」

そうです、我が国の最高法規には、権利が義務の対価であるとは一言も書かれていません。勿論、国民の三大義務として納税(〃30条)・勤労(〃27条)・教育(を受けさせる〃26条)が定められていますが、それと11条の関連性には触れられていません。つまり、三大義務を果たそうが果たすまいが、11条で定められた基本的人権は人間であるという理由だけで誰にでも保障されているのです。

にもかかわらず、我々の中で権利が義務の対価として理解されているのは、おそらく権利が日本人にとってあくまで明治期に「輸入した」概念であって、欧米のように長い闘いの歴史を経て「勝ち取った」ものでは無いからでしょう。権利とは何かという本質的な問題に向き合っていないが故に、解釈に誤謬が生じたのです。

それならば、まずは権利を正しく知りましょう。権利は通常、次の4つに分類されます。

①claim

他社に何かを請求する権利

②liberty

何かをする際に他者の干渉を制限する権利

③power

自他の権利義務関係に変更を加える権利

④immunity

他者によって義務を課せられないという権利

これらを素直に読むと、どうも権利とは、自分の遂行した義務の対価として得られるのではなく、「誰かが権利を持つと他者がそれに対応した義務を持つ」という、自己と第三者間での対応関係のようです。

日本国憲法も、12条で

「国民はこれ(※権利)を濫用してはならないのであって、常に公共の福祉の為にこれを利用する義務を負う」

と定めています。権利が無制限に許されないのはまさにそのためであり、他人(国家含む)に義務を課す行為であるからこそ、

「国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない(同条前段)」

のです。権利は義務を果たすまでも無く当然に誰にでも与えられるが、その行使は他者の義務を伴う。よって、それが認められるよう努力しなければならない・・噛み砕いて言うとそんなところでしょう。

冒頭の命題に照らすなら、権利と義務は表裏一体であるが、対価関係では無いと結論付けられるのです。

最後に、権利に関して一つ小ネタを(^^♪

実はrightという言葉(そしてその概念)が輸入された時、権利の「ㇼ」にどの漢字を充てるかで論争が起こっています。西周は権利を主張し、福沢諭吉は権理と訳しました。

利益の利か、理由の理か、ですね。お互いの言わんとすることも、よくわかりますよね。権利は当然利益を求め主張するものですし、当時同時に輸入された人権思想・平等思想からすれば、権利は当然のもの、主張する理由の有るものになります。

しかし、どちらを取るかでその印象は大きく変わってしまいます。出る杭は打たれ、村八分を何より恐れて来た日本人にとって、自分が得することを大っぴらに主張することは気が引けるものでした。にもかかわらず、権利が採用されたという所に、私は明治政府・官僚の思惑が有ったように感じてしまいます。(そういう思想が入ってきたからと言って、あまり政府に対し権利権利と騒がないでくれよ、大人しくしといてくれよ、という・・)

もしもあの時、福沢諭吉の権理が採用されていたなら、国際社会で堂々と他国に日本の権理を主張をする強い日本人の姿が見れたかもしれません。

そして、権理は義務の対価であるという誤解も、起こらなかった気がするのです。

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