ブログ

人生の教養!西洋哲学を俯瞰する➁

思想の背景(誰のどんな思想の影響を受けたか)とその時代の主流な思想
思想の内容(現代文や歴史を読むうえでポイントとなる点や現代人になお影響を及ぼしている思想に絞っています。ごくごく簡単に)
後世や現代への影響

1自然哲学者

詩人ホメロスの「イリアス」「オデュッセイア」やヘシオドスの「神統記」などの神話が支配する世界が続くが、やがて神話では無く人間の理性(ロゴス)によって自然を説明しようとする動きが生まれました。

タレスは万物の根源は水、ピタゴラスは数、デモクリトスは原子、ヘラクレイトスは火で有ると説きました。独創的ではありますが、いずれも一般的な古代思想の枠を出ません。そのため、世に「西洋思想」とは、次のソクラテス以後を指すことになっています(よって彼らの説明は4行で済ませます!笑)

△理性を重視する発想と自然科学によって世界の根源を解き明かそうとする姿勢は、ルネサンス期に人間が回帰すべき世界として見本になりました。これは重要なポイントです。つまり、ルネサンス期に帰るべき原点とされたのは、ソクラテスでもプラトンでもなく、彼ら自然哲学者たちの思想だったのです。

2ソクラテス

ペルシャ戦争後に市民に政治技術としての弁論術を教えるソフィストたちが詭弁を操り市民を煽動するようになる中、人間に関する真に普遍的な真理を求め、その教えを広く市民に伝えようとしました。

ソクラテスは友人が受けた「ソクラテスより賢いものはいない」というデルフォイの神託を聞き、神は何故私のようなものを最も賢いなどというのだろう、私など全く原理を理解し切れていないというのに・・。と、神の意図が計れず困ってしまいます。そこでソクラテスは賢者と名高いソフィストたちの元を訪れ、対話を試みます。そうするとどうでしょう。自分より無知な者たちが、さも真理を掴んだかのように得意げに説教してくるではないですか。そこでソクラテスは神の信託の意図に気付いたのです。そうか、私は他の者たちと違い、自分が無知であることを知っている。無知を自覚するからこそ、より学ぼうとする。それこそが知者の態度であり、神が私を最もと賢いと仰った理由なのだと解釈したのです。それ以降ソクラテスは、ソフィストたちを相手に、彼らが真の知(無知の知)に辿り着く手助けをしようと誓います。そして、対話を通し相互に論理の内容を確認しながら議論を進め(問答法)、答え手が真理に到達するための手助けをする(助産法)手法を編み出します。そのためにソクラテスがやったことを簡単に言えば、相手の言ったこと全てを「それは違う(‘ω’)」と否定したことです。それによって自らの無知を知らせ、もっと自分を知って、徳を知って、善く生きろよ!と訴え続けたのです。正直こんな人回りに居たらうざいですね(笑)実際ソクラテスは、ソフィストたちの恨みを買い、青少年を堕落させたという訳の分からない罪で死刑を宣告されます。
民衆たちに自身の潔白を訴え続けるのですが、死刑を覆すことは出来ず、最後は刑を受け入れ毒杯をあおります。

西洋を貫く精神の一つ、否定を善とするマインドの原型を作りました。否定というと悪いことのように思いますが、例えば自然科学はこれまでの通説に疑問を持ち批判することで発達していきます。自然科学が西洋で発展し、日本など「異なるものを受け入れる文化」のある東洋ではその発達が遅れたのには、否定の精神が関係しているのかもしれませんね。

2プラトン

師であるソクラテスの思想に影響を受け、理性を重視する

プラトンのイデア論は、その後ルネサンス期まで西洋2思想を支配します。イデアとは「目には見えないけど魂で捉えることが出来る、モノの本質」を指します。
例えば、「三角形書いて」と言われると、直角三角形、二等辺三角形と皆が違うものを書き、どれ一つとして同じものは無い。でも、どれもが三角形としては正解ですよね。それは元々みんなの中に「三角形」という共通概念が有るからです。実際に書くものは一人一人違うのに、それが三角形であるという認識は共通している。その共通認識をイデアと呼んだのです。
そして、誰一人として全く同じ三角形を描けないのは、イデアが現実の世界には存在しないからです。私たちが見たり触れたりできるのは、その共通認識を持った個々の実体だけです。三角形は「観念(頭で考えたこと)」だからまだ納得しやすいですが、プラトンはこの考えを物質の世界にも持ち込みます。「椅子にも机にもゾウにもアリにも、まずイデア(共通認識)が有る。そして現実の椅子やゾウはそのイデアを模倣して現実界に誕生したんやで( *´艸`)」と説いたのです。
現実よりイデアのほうが大事!だから人間も皆イデアを目指さなければならない!というのがプラトンの結論です。生きづらい世の中ですよね・・。しかし、真面目で学問好きなポリス市民に、プラトンの主張は広く受け入れられます。きっと人間は、どうしても現実の世界だけでは説明がつかない出来事の理由として、畏敬の念を抱くような世界を想定したくなるのでしょうね。山や自然を崇拝したり、人間の誕生を神話として語るのは、その典型です。宗教もそうだと言っていい。
さて、プラトンはこうして人間にイデアという現実世界には存在しない真理を追究することを解いたのですが、実はこれが暗黒の時代と言われる西洋の中世を生む一因になったのです。何故なら、プラトンはイデアを目指すためには感覚を一切排除して理性で捉えなければならないと言うのです。感覚を排除するという事は、自然科学の基本である「観察」を排除することでもあります。プラトンの考えでは、イデアは元々目に見えないし触ることも聞く事も出来ないのですから、感覚を排除するのはある種当然の帰結とも思えますが、見えないものをただ信じろと言うのは・・これはもう宗教です!それならそれで、宗教としてプラトン教でもイデア教とでも名乗って勝手にやってくれればよかったのですが、あろうことかプラトンはこれを正当な学問の中心に置いてしまうのです。

イデアの追求が(宗教でなく)学問になったことによって、二つの弊害が起こります。一つは学問、特に自然科学の停滞です。なにせ理性で見えないものを捉えるというヘンテコ宗教が学問の中心なのですから、どう頑張っても自然科学が発達しようが有りません(+_+)
もう一つは、その後の西洋の特徴でもある「人間至上主義」の正当化です。知性と理性を兼ね備えた人間だけがイデア界に近づけるということは、それらを持たない動物たちは現実という影の世界でただただ死んでいくだけの悲しい存在という事になります。
西洋思想の特徴は、「人間は抜群にえらい!ほとんど神だ!」と主張することに有ります。神話の世界でも、プロメテウスやイカロスは神になろうとして最後は神に罰せられますし、キリスト教の原罪も同じ理屈です。知恵の実(リンゴ)を食べることが罰されるかのは、人間ごときが知恵を得て神に近づこうとしたからです。
西洋人には、元々神になりたいという強い意志が有り、プラトンが現実には無いイデアの世界を目指すことを肯定したことで、その後もこの人間最高という主張はずーっと引き継がれていくのです。後に紹介する近代合理主義の主張も、言いたいことは結局人間って素晴らしいよねっていう主張です。
ただし、暗黒の中世ではその意志や欲求は一旦終われます。何故なら、プラトンの思想と次に出てくるアリストテレスの思想が、キリスト教にうまいこと利用されるからです。次は、そのアリストテレスの思想を見ていきましょう。

3アリストテレス

プラトンのイデア論が蔓延る時代。アリストテレスはプラトンの弟子ですが、師のイデア論を否定します。それはソクラテスから続く「否定・批判万歳!」の思想を受け継ぎ、「師匠でさえも批判することが本人の為になる」という風潮が、社会に有ったからです。そのため、アリストテレスは、師が批判した観察も重視し自然科学や経済学などの実学も大きく発展させて行きます。

「アリストテレスは何をした人か?」と聞かれても、答えられない人が多いと思います。それは、彼があまりに多くのことを一人でやりすぎて、やったことが絞れないからです。彼は生涯で17冊の全集を発表していますが、その内容は自然学・天体学・気象学・動物学・倫理学・政治学・経済学・弁論術・詩学など多岐にわたります。世界の全てを、たった一人で説明しつくしたと言っても過言では有りません。その完成度たるや、完全に個人の能力を超えています。なんせ、日本は当時まだ弥生時代です(笑)。彼の思想はさながら西洋の百科事典のようなもので、その後キリスト教と結びついてその後二千年に渡って西洋人の常識となります。(西洋が暗黒の中世時代を迎えている間自然科学の中心はイスラム世界になりますが、その時も基になったのはイスラム世界にも伝わっていた彼の思想です)

実は、アリステレスの思想が当時としてはあまりに完璧だったことが、逆にこの後の西洋の発展を妨げることになります。天動説など、勿論現在の科学からすれば間違っていることも多々あるのですが、分野一つ一つの専門家が知恵を絞り合っても、誰も彼の考えを超えることが出来なかったのです。
それに加え、プラトンのイデア論で自然科学に至る観察の道も閉ざされて、更に後述するように、キリスト教会が人間から思想を奪ったことで、結果誰もアリストテレスの考えを検証しようなどと思わなくなってしまいました。
プラトンとアリストテレス、二人の偉大な思想家が実は暗黒の中世の元凶になっていたことは皮肉なことです。ただ、彼らを批判するのはお門違いです。プラトンにしても、まだ科学が無く神の存在が現実のものとして信じられていた時代です。そんな中、真理の探究に生涯を費やした彼の功績はやはりただならぬものですし、アリストテレスにしても、責めるべきは彼の説を神格化して検証を怠った後世の人々です。

コラム~本質錯覚論~
 イデアの、「見えないところに本質が有る」という思想の影響は、西洋どころか、その西洋の思想の影響を受けまくっている我々にも及んでいます。人の他人に対する評価を聞くと、これがよく表れているなあと思うのです。子犬に餌をやるヤクザの例(笑)なんか、典型的です。普段悪そうな人がちょっといい部分を見せると、その隠してた部分がその人の本質のように思って「本当は優しい人なんだ」と思ってしまいます。逆に、普段やさしい彼氏とちょっとケンカしただけで、あんな奴だと思わなかったと別れてしまう。でも、よく考えればこれはおかしな話で、見えている普段が優しい人は、たまにそうでは無い瞬間が垣間見えても、やっぱり優しい人ですよ♪
人は、普段隠しているものが垣間見えたときに、「彼のこんなところは私しか知らない」という優越感を感じ、それを本質と思ってしまうのかもしれませんね。その、普段目に見えない部分にあこがれを抱き、本質を感じてしまう性質は、プラトンのイデア論の捉え方に端を発していると言えるのです。
人間が占いやオーラ、守護霊といったものに弱いのも、根っこは同じです。感覚では捉えられない超自然的なモノを信じると、気持ちが楽になります。現実と離れたところ(イデア界)に説明原理が有ると、現実がつらい場合でも救われた気にもなるんですね。

関連記事

  1. 歴史を動かしたコーヒー
  2. 権利は義務の対価なのか
  3. オタクと鎖国
  4. 人生の教養!西洋哲学を俯瞰する➀
PAGE TOP