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オタクと鎖国

 過去と現在の繋がりを発見することは歴史の醍醐味です。受験期の気晴らしに、今日は「オタクと鎖国」をテーマに、過去と現在を繋いでみようと思います。

 日本では時にマイナスイメージで表現されるオタクという言葉も、海外では「cool Japan」の1つとして憧れの対象のようです。では日本人のそのオタク文化・オタク精神はどこから来たものなのでしょうか?テレビでもおなじみの斎藤孝教授はオタクのルーツは江戸時代の鎖国に有ると言及しています。

 よきに悪きに、鎖国は日本人のカラーをつくってしまった事件です。鎖国が制度として確立されるのは、三大将軍家光のときですが、構想を描いたのは家康です。家康はなぜ鎖国をしようなどと思うようになったのでしょうか。実は、これは大名統制の一環でした。家康の作った支配機構のなかでも、大名統制は徹底しています。まず、「一国一城令」で支部を作るような勢力拡大を抑え、「参勤交代」という無駄でばかばかしい行列をさせた。武家諸法度も大名を統制するためのものでした。そして鎖国もその一環だったという事です。

 

 江戸初期、家康はキリスト教は禁じますが、貿易は奨励するという方策をとっています。大名にせっせと稼がせて、貢がせていたのです。しかし、そのうち気づいてしまった!これを独占してしまえば、全部政府のものになるじゃないかと。そこで幕府は思い切って貿易する国をオランダや朝鮮、琉球、アイヌだけに搾り、貿易していい場所は長崎の出島など四ヶ所に限って、自分たちで独占し、それ以外の貿易を全て禁じてしまったのです。更に海外と貿易ができるような大きな船を造ることを禁止します。江戸時代の絵を見て下さい、当時の船は、帆が一枚ぴらっとついただけのお粗末な小舟ばかりです。これは大きな船がを作る技術が無かったのではなく、造ってはいけなかったからなのです。さらに日本人が外国へ行くことも、万が一、外国に行ってしまった人が日本に帰って来ることも厳しく禁じます。

 こうして幕府以外が貿易を出来ないように、出来ないように、と策を講じていった結果、日本は「鎖国」という不思議な状態になっていったのです。

 そして、あくまで政治的経済的な要因から起こったこの鎖国という流れが、その後の日本人の文化や精神性に大きく影響を与えます。現在、世界で勝負している日本の文化というのは、浮世絵から始まって、現在のオタク文化に至るまで、すべて鎖国的な感性、内に閉じる感覚から生まれているのです。以前流行った「萌え」というのも、秋葉原という、いわば鎖国地帯から生まれたものです。

 かつて、日本の浮世絵が印象派にバーンと大きな影響を与えたように、いまはアニメやゲーム、オタク文化が世界中のクリエイターに影響を与えています。でも日本人はあくまで自分たちの内輪の楽しみとして作っていたのです。むしろ出たら恥ずかしい、外の人には見られたくないという気分で作っていたのです。この内輪気分は、国境が地続きのヨーロッパにはないものです。このように、外国が「cool Japan」と言っているオタク文化の正体は、実は日本の鎖国体質から生まれた、一種異様な文化だったのです。

 日本がcoolな存在でいるためには、外に対する後ろめたさを感じながら、うちに籠って好きなことをしているくらいがちょうどいいのです。平和で、自分の好きな世界に籠っていられる状態、そんな鎖国状態が日本人には一番合っているのかもしれません。

 この際ですね、日本人はヘタに世界で通用するものを作ろうなどと考えずに、自分たちが楽しければいいじゃないか、という気持ちで物作りをした方が、結果的にオリジナル性の高い面白いものが出来るのではないでしょうか(笑)

 

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